毎年5万人ずつ18歳人口が減っている中で今年度は遂に130万人代に突入した。約5割が大学短大に進学するとするので70万人くらいが受験することにな
る。もう、大学の収容定員とほとんど同じとなるので、来年度には「大学全入時代」というわけだ。こうなると、毎年入試状況は変化していく。まったく読みが
きかない。あちらの大学が動くと、こちらの大学に影響が出るという実にカオスな状況が生まれている。この連鎖を予測していくのはスリリングであるのだが、
ファクターが多すぎてなかなか大胆に予測というわけにいかなくなってきた。本来、その予測で食べてきた予備校も最近あまり予測を口にしなくなっている。
といっても現状は大学受験者の4割くらいは昨年中に入学を決めている。推薦入試やAO入試と呼ばれる学力を問わない入試で入学を決めているというのが実 態なのだ。推薦入試が行われる11月と一般入試が行われる2月を中心に二つの山があり、1月はもう後半戦といえる。今年は1月21日22日にセンター試験 が行われるが、まあこのあたりが後半戦の山場といえるだろう。
募集する側の人間から見ていて、最近の入試は「入試は学力」というより、「入試は戦略」なのではないかと思うことが多い。自分が希望する大学にはどのよう な入試があり、自分の実力から考えて、どれが「合って」いるかと考えるのが戦略だ。受験勉強するより、そちらが大事などというと、「受験地獄」といわれた 時代を経験した受験生の親にはたいそう驚かれるのだが、まんざら嘘ではない。
そして、これは、これで結構意味があると思う。実は人生も「戦略」なのだから。学力低下ということが盛んに言われるが、そもそも実践に役に立 たない学力は、知的なトレーニングであって、それはそれで必要なものであるが、応用の仕方がわからない知識の詰め込みは雑学の類と大して変わらないという のは暴論だろうか。
成長に応じてしっかりと「考えること」をさせていけば、必要な時に知識を吸収することに貪欲になる。目的が見えてくればとい うことだ。ここのところを学力観の転換といわれた<ゆとり教育>の中でやって欲しかったが、現場の教師にその転換がなかった。教師があまりわかった顔で、 知識を押し込むのは既成の常識という枠組みだけをあてがおうとするようなものだ。教師にはいろいろとやってみる自由があったが、結局、新しい方へ踏み出せ なかった。
日本は間違いなく経済的には豊かな国である。子どもたちの社会への適応が遅くなってきた。高校の先生からは未熟とか幼いとよく聞く。 彼ら教師から見て、考え方が幼稚な子が増えているというのである。おそらくもう一度競争のある学習へと戻そうとしても戻らない。教育が元凶ではないから だ。むしろ教育のあるいは教師の時代への不適応ではないのか。
この問題も行き着くところ、社会が豊かになり、好むと好まざるとにかかわらず、 ニートを許容することができるということではないか。もっと時間をかけて大学に入ってからも、子どもたちを育てていく仕組みが必要なのかもしれない。なぜ なら同年代の半数が大学に行く時代の大学は、特別な教育をさずけるところではないのだから。
といっても現状は大学受験者の4割くらいは昨年中に入学を決めている。推薦入試やAO入試と呼ばれる学力を問わない入試で入学を決めているというのが実 態なのだ。推薦入試が行われる11月と一般入試が行われる2月を中心に二つの山があり、1月はもう後半戦といえる。今年は1月21日22日にセンター試験 が行われるが、まあこのあたりが後半戦の山場といえるだろう。
募集する側の人間から見ていて、最近の入試は「入試は学力」というより、「入試は戦略」なのではないかと思うことが多い。自分が希望する大学にはどのよう な入試があり、自分の実力から考えて、どれが「合って」いるかと考えるのが戦略だ。受験勉強するより、そちらが大事などというと、「受験地獄」といわれた 時代を経験した受験生の親にはたいそう驚かれるのだが、まんざら嘘ではない。
そして、これは、これで結構意味があると思う。実は人生も「戦略」なのだから。学力低下ということが盛んに言われるが、そもそも実践に役に立 たない学力は、知的なトレーニングであって、それはそれで必要なものであるが、応用の仕方がわからない知識の詰め込みは雑学の類と大して変わらないという のは暴論だろうか。
成長に応じてしっかりと「考えること」をさせていけば、必要な時に知識を吸収することに貪欲になる。目的が見えてくればとい うことだ。ここのところを学力観の転換といわれた<ゆとり教育>の中でやって欲しかったが、現場の教師にその転換がなかった。教師があまりわかった顔で、 知識を押し込むのは既成の常識という枠組みだけをあてがおうとするようなものだ。教師にはいろいろとやってみる自由があったが、結局、新しい方へ踏み出せ なかった。
日本は間違いなく経済的には豊かな国である。子どもたちの社会への適応が遅くなってきた。高校の先生からは未熟とか幼いとよく聞く。 彼ら教師から見て、考え方が幼稚な子が増えているというのである。おそらくもう一度競争のある学習へと戻そうとしても戻らない。教育が元凶ではないから だ。むしろ教育のあるいは教師の時代への不適応ではないのか。
この問題も行き着くところ、社会が豊かになり、好むと好まざるとにかかわらず、 ニートを許容することができるということではないか。もっと時間をかけて大学に入ってからも、子どもたちを育てていく仕組みが必要なのかもしれない。なぜ なら同年代の半数が大学に行く時代の大学は、特別な教育をさずけるところではないのだから。
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