あえて、このブログではやらないが、他のところで記事投稿型アフィリエイトを行っている。企業が配信するプレスリリースをブログに書くと報酬が得られるというものだ。
代表的なものに「プレスブログ」や「ブログルポ」「blomotion」「ブログのカンヅメ」がある。だいたい先着300くらいに報酬を出しているので、 配信されて半日くらいで募集数に達する。そうすると後は抽選となる。そのため集中して配信された記事を扱ったブログが更新される。
最近ではブログ検索ができるサービスが出てきているので、キーワードでそれが上位に来るという現象が見られるようになっている。サンヨーの掃除機が一位に 来たりするのだ。ブログのノウハウ本にアクセスをあげるための鉄則の一つとして「話題のキーワードを取り上げる」ということが書いてあるので、何もわから ず、それを取り上げる人も出てくるので、結構「口コミ」メディアとしては成功してるのかも知れない。
実はある学習塾の依頼が配信されてきた。私自身必ずしも、学習塾のあり方に賛成しているわけではないが、まあ良いと思っているところもあるので取り上げて書いたのが、次の文章だ。
--------------
教員ではないが、幼稚園から大学院まですべてのグレードの揃った私立学校に勤務しているので、子どもの教育には関心がある。もちろんそれ以上に、わが子 の教育には気になるところなのだが、最近の高等学校での必修科目の未履修問題を見ているとどこに問題があるのかわからなくなる。
問題点をよく整理したわけではないが、どうも国の教育のあり方が時代についていっていないのではないかと感じる。
そもそも、国が一律の教育の内容を決めてそのとおりにやれというやり方が古いのではないか。文部科学省の寺脇氏が前に「ゆとり教育」を提唱し、教育内容 の大幅な軽量化を図ったあとで、教育指導要領は「ミニマムスタンダード」(教えるべき最低ライン)を定めたものだと 発言して大混乱したことがある。
個性を重視して、個々の発達や関心、能力に応じた教育という当初の大前提を、現場の力量不足、特に理解不足のために妥協していったのである。
現場では、進学校を中心に指導要領を無視した教育が容認される雰囲気ができ始めたのはこの後だ。週休2日では、時間数が足りなくて上位校を受験させるだ けの教科教育ができないということで、あの手この手で時間確保を行った。そのひとつが受験科目に関係のない科目の付け替えである。実際に私立学校は週休2 日制に反対するというポーズで、親たちの公立校の学力低下不安に訴えて私学ブームが大都市圏では起こっている。
さて、前に家庭教師のことを書いた。個々の力、関心に応じて教育してくれる良い家庭教師がいるならば、子どもは伸びると書いた。
実は最近、学習塾でも、個別指導が行われるようになってきている。「一人ひとりにもっとも適したオーダーメイドの指導が出来ます。」と書いてあるとおり、個々の生徒に合わせた学習をすすめている。(ここに具体的な学習塾の名前が出てくるがここでは省略。)
こういう取り組みを見ていると、いかに公教育が遅れているかがわかる。これは教師の意識の問題であり、社会を見る目の問題なのだが、残念ながらその努力を怠っている。いつも周りを気にして、右へならえ、みんなで渡れば怖くない、という意識の中に沈殿している。
勤務評定といじめの隠蔽の問題も出てきているが、おそらく根は同じだろう。
学習塾のがんばりに期待したいところもある。
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なぜ、ここにも書いたかって。
このブログでは必修もれのことをいいたかったのである。
代表的なものに「プレスブログ」や「ブログルポ」「blomotion」「ブログのカンヅメ」がある。だいたい先着300くらいに報酬を出しているので、 配信されて半日くらいで募集数に達する。そうすると後は抽選となる。そのため集中して配信された記事を扱ったブログが更新される。
最近ではブログ検索ができるサービスが出てきているので、キーワードでそれが上位に来るという現象が見られるようになっている。サンヨーの掃除機が一位に 来たりするのだ。ブログのノウハウ本にアクセスをあげるための鉄則の一つとして「話題のキーワードを取り上げる」ということが書いてあるので、何もわから ず、それを取り上げる人も出てくるので、結構「口コミ」メディアとしては成功してるのかも知れない。
実はある学習塾の依頼が配信されてきた。私自身必ずしも、学習塾のあり方に賛成しているわけではないが、まあ良いと思っているところもあるので取り上げて書いたのが、次の文章だ。
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教員ではないが、幼稚園から大学院まですべてのグレードの揃った私立学校に勤務しているので、子どもの教育には関心がある。もちろんそれ以上に、わが子 の教育には気になるところなのだが、最近の高等学校での必修科目の未履修問題を見ているとどこに問題があるのかわからなくなる。
問題点をよく整理したわけではないが、どうも国の教育のあり方が時代についていっていないのではないかと感じる。
そもそも、国が一律の教育の内容を決めてそのとおりにやれというやり方が古いのではないか。文部科学省の寺脇氏が前に「ゆとり教育」を提唱し、教育内容 の大幅な軽量化を図ったあとで、教育指導要領は「ミニマムスタンダード」(教えるべき最低ライン)を定めたものだと 発言して大混乱したことがある。
個性を重視して、個々の発達や関心、能力に応じた教育という当初の大前提を、現場の力量不足、特に理解不足のために妥協していったのである。
現場では、進学校を中心に指導要領を無視した教育が容認される雰囲気ができ始めたのはこの後だ。週休2日では、時間数が足りなくて上位校を受験させるだ けの教科教育ができないということで、あの手この手で時間確保を行った。そのひとつが受験科目に関係のない科目の付け替えである。実際に私立学校は週休2 日制に反対するというポーズで、親たちの公立校の学力低下不安に訴えて私学ブームが大都市圏では起こっている。
さて、前に家庭教師のことを書いた。個々の力、関心に応じて教育してくれる良い家庭教師がいるならば、子どもは伸びると書いた。
実は最近、学習塾でも、個別指導が行われるようになってきている。「一人ひとりにもっとも適したオーダーメイドの指導が出来ます。」と書いてあるとおり、個々の生徒に合わせた学習をすすめている。(ここに具体的な学習塾の名前が出てくるがここでは省略。)
こういう取り組みを見ていると、いかに公教育が遅れているかがわかる。これは教師の意識の問題であり、社会を見る目の問題なのだが、残念ながらその努力を怠っている。いつも周りを気にして、右へならえ、みんなで渡れば怖くない、という意識の中に沈殿している。
勤務評定といじめの隠蔽の問題も出てきているが、おそらく根は同じだろう。
学習塾のがんばりに期待したいところもある。
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なぜ、ここにも書いたかって。
このブログでは必修もれのことをいいたかったのである。
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