わが大学も冬休みに入りました。
年賀状を書いたり、休みの期間の受験生対応の手配をしたり、大学案内の年明けの取材の準備をしたり、入学前準備教育の教材を揃えたり、そして、年明けの一般入試の予測を立てたり、受験生獲得のための最後の悪あがきをしたり…と忙しいのですが、でも出勤はしていません。冬休みですから。
さてタイトルについて。このことは、このブログでしつこく発言していくことになるかと思いますが、ご容赦を。あえてマスコミの風潮に掉さしたいのです。
全入時代前
入学定員<受験生数
大学の募集広報は考えてみると、いままで「売り手市場」であったわけで、受験生の数の方が多かった。だから、しぶとくあきらめずに待っていればなんとか入学者は、それなりにいる。
数学的に考えてそうです。
たとえ、定員割を4割の大学で起こっているといっても、そうなります。全国平均で定員充足率が110%くらいですから入学定員よりも実入学者(受け入れ人数)は多少多くなっていますので、そのあたりが定員未充足の大学が出てきているわけですが、実は「4割が定員割れ」ということばの衝撃よりは、自分の大学について考えるとそれほどでもないはずです。
では
全入時代
入学定員=受験生数
の時代はどうなるのでしょう。確かに、何かが大きく変わります。もう後戻りできないルビコンを渡ったような状況です。そのことは自覚したほうがいいでしょう。でもイコール危機ということにはならないのではないでしょう。
実はここからが「学校広報のスタート」なのではないですか。
かつては受験参考書で有名だった学研のガイドブックの名前は「マッチングブック」といいます。このマッチングという言葉がヒントかなと私は考えます。
「受験生の個性が一人ひとり違うように受験生に合った個性の大学があるはずだ。」
と考えられないでしょうか。
とすれば自大学の個性を見出し、売り出していくのが「広報」の仕事です。電車に乗っていてオープンキャンパスや入試の日程告知の窓上広告を見ていて、それで「広報」はいいの?といいたくなります。広報と広告宣伝は違いますよね。
広報には受験生に届く「メッセージ」がないとだめなのではないでしょうか。
日本の教育の中ではあまりこのことが重視されないわけですが、一人ひとりに合った学び方というのがあるはずです。フランスでは小さい頃から、教室で「いかに自分は他の人と違うか」を大事にします。日本は逆で「いかに人並みか」を重視します。
だから教育の中で一面的な序列を付けたがるのです。これは国民のメンタリティでもあるので、すぐには変わらないとは思いますが、少なくとも、今、大学がおかれている競争は、何かが間違っています。ミスリードしているのが誰か、躍らせれているのが誰か、そして、その風潮に流されてしまっているのは誰か。
(朝日新聞の大学ランキングは偏差値という一面的な序列とは違う見方があるはずだとランキングをはじめたのですが、いまではランキングのためのランキングになっていて、いかにも日本的だなあと感じます。)
全入時代こそ学校広報がスタートだと考えて、燃えている人が、「全国に10人はいるはずだ!」と最近、考えるようにしています。そして、来年は、そういう人とのネットワークを作っていこうかなとも考えています。
実は4,5人はリストアップが出来ていますので、そのうち会いにいこうと考えています。来年の私の課題です。
あまり関係ありませんが、こういう特集もありますね。
asahi.com:全入時代 - 大学 - 教育
年賀状を書いたり、休みの期間の受験生対応の手配をしたり、大学案内の年明けの取材の準備をしたり、入学前準備教育の教材を揃えたり、そして、年明けの一般入試の予測を立てたり、受験生獲得のための最後の悪あがきをしたり…と忙しいのですが、でも出勤はしていません。冬休みですから。
さてタイトルについて。このことは、このブログでしつこく発言していくことになるかと思いますが、ご容赦を。あえてマスコミの風潮に掉さしたいのです。
全入時代前
入学定員<受験生数
大学の募集広報は考えてみると、いままで「売り手市場」であったわけで、受験生の数の方が多かった。だから、しぶとくあきらめずに待っていればなんとか入学者は、それなりにいる。
数学的に考えてそうです。
たとえ、定員割を4割の大学で起こっているといっても、そうなります。全国平均で定員充足率が110%くらいですから入学定員よりも実入学者(受け入れ人数)は多少多くなっていますので、そのあたりが定員未充足の大学が出てきているわけですが、実は「4割が定員割れ」ということばの衝撃よりは、自分の大学について考えるとそれほどでもないはずです。
では
全入時代
入学定員=受験生数
の時代はどうなるのでしょう。確かに、何かが大きく変わります。もう後戻りできないルビコンを渡ったような状況です。そのことは自覚したほうがいいでしょう。でもイコール危機ということにはならないのではないでしょう。
実はここからが「学校広報のスタート」なのではないですか。
かつては受験参考書で有名だった学研のガイドブックの名前は「マッチングブック」といいます。このマッチングという言葉がヒントかなと私は考えます。
「受験生の個性が一人ひとり違うように受験生に合った個性の大学があるはずだ。」
と考えられないでしょうか。
とすれば自大学の個性を見出し、売り出していくのが「広報」の仕事です。電車に乗っていてオープンキャンパスや入試の日程告知の窓上広告を見ていて、それで「広報」はいいの?といいたくなります。広報と広告宣伝は違いますよね。
広報には受験生に届く「メッセージ」がないとだめなのではないでしょうか。
日本の教育の中ではあまりこのことが重視されないわけですが、一人ひとりに合った学び方というのがあるはずです。フランスでは小さい頃から、教室で「いかに自分は他の人と違うか」を大事にします。日本は逆で「いかに人並みか」を重視します。
だから教育の中で一面的な序列を付けたがるのです。これは国民のメンタリティでもあるので、すぐには変わらないとは思いますが、少なくとも、今、大学がおかれている競争は、何かが間違っています。ミスリードしているのが誰か、躍らせれているのが誰か、そして、その風潮に流されてしまっているのは誰か。
(朝日新聞の大学ランキングは偏差値という一面的な序列とは違う見方があるはずだとランキングをはじめたのですが、いまではランキングのためのランキングになっていて、いかにも日本的だなあと感じます。)
全入時代こそ学校広報がスタートだと考えて、燃えている人が、「全国に10人はいるはずだ!」と最近、考えるようにしています。そして、来年は、そういう人とのネットワークを作っていこうかなとも考えています。
実は4,5人はリストアップが出来ていますので、そのうち会いにいこうと考えています。来年の私の課題です。
あまり関係ありませんが、こういう特集もありますね。
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