昨日ちょっとだけ書いた地方の大学が文化の拠点になっているという話。
我ながら気に入っているのだが、本当にそうかという事例を集めてみようと思っている。地域に密着して地道に情報発信をする大学教員という像をイメージしているのだ。
学者としての訓練を受けた人が地方文化(伝統的な)に触れて、発信を始める。ネットワークを作る。
そういう事例は多いと思うのだ。とすると、地方の小さな大学が淘汰されていくことにより、ますます地方は疲弊する。
いまの大・大学だけが生き残ればいいという発想、それは金融機関の淘汰のスキームをそのまま持ってきたような文科省の破綻大学処理策に現れているのだが、それでほんとにいいの?
なりふり構わない受験生数獲得競争(受験生獲得じゃなく、あくまで受験生数獲得、まあ全学部入試などの流れのこと)を繰り広げる大・大学にも、考えて欲しいことである。
このまま進むと入試部門と教学部門の軋轢が起ることは必至なのだが…。
さらに卒業生が背負って社会に出る「ブランド」も崩壊を起こすことになる…。
弱小大学の遠吠えに聞こえましたら、ごめんなさい。ペコリ。
我ながら気に入っているのだが、本当にそうかという事例を集めてみようと思っている。地域に密着して地道に情報発信をする大学教員という像をイメージしているのだ。
学者としての訓練を受けた人が地方文化(伝統的な)に触れて、発信を始める。ネットワークを作る。
そういう事例は多いと思うのだ。とすると、地方の小さな大学が淘汰されていくことにより、ますます地方は疲弊する。
いまの大・大学だけが生き残ればいいという発想、それは金融機関の淘汰のスキームをそのまま持ってきたような文科省の破綻大学処理策に現れているのだが、それでほんとにいいの?
なりふり構わない受験生数獲得競争(受験生獲得じゃなく、あくまで受験生数獲得、まあ全学部入試などの流れのこと)を繰り広げる大・大学にも、考えて欲しいことである。
このまま進むと入試部門と教学部門の軋轢が起ることは必至なのだが…。
さらに卒業生が背負って社会に出る「ブランド」も崩壊を起こすことになる…。
弱小大学の遠吠えに聞こえましたら、ごめんなさい。ペコリ。
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