あらたにす発足―言論の戦いを見てほしい 「吾人(ごじん)は人類をして博愛の道を尽(つく)さしめんが為めに平和主義を唱道す。故に人種の区別、政体の異同を問はず、世界をあげて軍備を撤去し、戦争を禁絶せんことを期す」 1世紀以上も前のこと。軍靴の響きが高まり、日露開戦へと時代が加速する中で登場した「平民新聞」の1903年11月15日の創刊宣言である。 幸徳秋水と堺利彦が、開戦論に転じた「万朝報(よろずちょうほう)」を退社して立ち上げた。ほとんどの新聞が戦争を賛美する中、「平民新聞」は非戦論、反戦論を展開した。発行部数は数千の単位だった。 もし当時、全国の人たちが「平民新聞」と「万朝報」などの論調を読み比べることができていたら、どんな反応が起きていただろうか。 こんなことを考えたのは、きょう、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞によるインターネット共同事業「あらたにす」が始まったからだ。これは3紙の主な記事や社説を一目で比べることができ、それぞれのニュースサイトにも簡単に接続できるサービスである。 民主主義は、言論の多様さと主張の競い合いがあってこそ成り立つ。 日本のジャーナリズム史を振り返ってみると、「平民新聞」のような勇気ある事例は多くない。戦前は、朝日新聞をはじめ多くの新聞が政府の方針に沿い、戦争への道をあおってきた。昨年からの本紙の連載「新聞と戦争」が伝える通りである。 それでも、明治の自由民権や大正デモクラシーの時代には、政府寄りの新聞がある一方で、政府を厳しく批判する新聞もあって、鋭い言論や特ダネが紙面をにぎわした。そうしたあふれんばかりのエネルギーが、今も新聞の原点である。 現代の新聞の主張にも、驚くほど違っていることが少なくない。例えば、読売は自ら改憲案をつくって憲法改正の旗を振るが、朝日は現行憲法、特に9条を活用することを基本と考えている。イラク戦争、靖国問題などでも、多くの新聞がさまざまな論を張ってきた。 比べて読めば、それぞれの主張が立体的に浮かび上がる。どちらに説得力があるかは読者が判断する。 これは新聞の側にも大きな緊張感をもたらす。3紙による共同の試みを、日本の新聞がいっそう個性を磨き上げ、競い合う出発点にしたい。 「ネットの時代」といわれるが、問題はどんな情報を流すかだ。無責任で不正確な情報があふれる中では、きちんと裏付けを取った正確な情報を発信する新聞の役割がますます重要になる。そもそもネットに載るニュースも、多くは新聞社が取材したものだ。 ニュースを発掘し、取材し、それをもとに主張を展開する。そうした新聞の強みを生かす新たな場が、今回の共同ネットである。読者の期待に反しないよう、言論の活発な戦いをお見せしたい。 |
いや大時代的なことを書くなあ。まるで取材力は新聞記者にしかないような書き方に滑稽さを感じる。
日頃、社会の現場にいる私たちは、記者の取材を受けることがある。私の場合は教育という現場にいるが、そこに取材にくる若い記者の取材ぶりを見ていると、先の社説がいう「裏付けを取った正確な情報を発信する」ということが、本当にできているかと疑いたくなる時がある。根掘り葉掘り基本的なことは聞いてくるが肝心なことは聞かない。だから二度三度聞いてくる。
取材の形はできているが、何か気迫が感じられなくなったし、ポイントを把握する力が落ちているように思える。
「あふれんばかりのエネルギーが、今も新聞の原点である。」というが、まさにそれが感じられない。記者たちが形から入り形で終わっている。かっこ悪さを持った記者さんに会うことがなくなった。
そして、格好ばかりを気にするニュースサイトが「あらたにす」に見えてくる。3社できれいに分割され配分されたサイトからは「こう読みなさい」という新聞社のおごりが感じられるのだが…。
私は、前にも書いたが、地方の記者たちが書いた記事が集まった47NEWSの方が好きだし、お仕着せの「あらたにす」よりもRSSをうまく集めてigoogleで自分なりのくらべる新聞を作る方に興味がある。
それにWEB Firstをどうして実行できないのだろう。
とにかくこの朝日新聞の社説は永久保存しておいて、またいつか読んでみたい。
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