センターが終わりいよいよ一般入試が始まった。一般入試で一番頭を悩ますのが「歩留まり」予測。ここ数年は前年の数値からの推計がほとんど役に立たない。おそらくどこの大学も一緒だろう。
もっと言うと、ランクが下にいくにしたがって、上位校の合格の出し方に左右される。MARCHは早慶上智に、日東駒専はMARCHにといった具合だ。だから、よく自大学の歩留まりや辞退者の動向を観察していると、だいたいどこのクラスの大学が合格をどの時期に多く出したかがわかるのだが、実際には観察なんてそんな悠長なことはやってられる状況にはない。
歩留まりは合格最低点によって大きく変わってくる。合格最低点を下げて多めに合格を出すと歩留まりはよくなる。あげるととたんに悪くなる。要するに当たり前がボーダー付近の受験生の入学してくる率が高いのである。ということは合格最低点を下げると、学力に不安のある学生を抱え込むことになる。
学力の低下は、意識の低下や学習習慣の欠如という問題も同時に抱え込むことになるので、思った以上に教室運営は大変なことになる。これはマンモス大学ほど深刻で、必ず教務が悲鳴を上げ始める。このところのサバイバル戦においては入試部門の発言力が強いので、問題が抑えられた形だが、私は必ず、教学部門の巻き返しがあると見ている。いまのとり方を見ていると「なぜこんな学生をとったのか」という議論が起こらないはずはない。
そうした動きはわが大学のような小さな大学にも見えてくるものがある、実は密かにマンモス大学からの転入生が増えているのである。合格したはいいが、マンモス大学の授業についていけないからといって編入してくる学生が俄かに増えているのだ。ここいらに小さな大学のサバイバルのヒントがあると見ているが、世の中は必ずしもそうは見てくれないので、しばらくは苦しい戦いが続くだろう。それでもサバイバルができれば、なんとか風向きが変わるときがあるというのが、かすかな希望というところ。その前に息絶えないようにあの手この手でがんばるしかない…。
さてこの時期あまり誰もいわないが、明治大学の応援団の事件の背景は学生の質の低下があると見ている。これは、実は入試戦略、募集戦略と関係していることなのだ。明治らしさの象徴であった応援団の廃部という問題はことのほか大きな問題を秘めていると思うがいかがだろう。
ああ、いってしまった。
もっと言うと、ランクが下にいくにしたがって、上位校の合格の出し方に左右される。MARCHは早慶上智に、日東駒専はMARCHにといった具合だ。だから、よく自大学の歩留まりや辞退者の動向を観察していると、だいたいどこのクラスの大学が合格をどの時期に多く出したかがわかるのだが、実際には観察なんてそんな悠長なことはやってられる状況にはない。
歩留まりは合格最低点によって大きく変わってくる。合格最低点を下げて多めに合格を出すと歩留まりはよくなる。あげるととたんに悪くなる。要するに当たり前がボーダー付近の受験生の入学してくる率が高いのである。ということは合格最低点を下げると、学力に不安のある学生を抱え込むことになる。
学力の低下は、意識の低下や学習習慣の欠如という問題も同時に抱え込むことになるので、思った以上に教室運営は大変なことになる。これはマンモス大学ほど深刻で、必ず教務が悲鳴を上げ始める。このところのサバイバル戦においては入試部門の発言力が強いので、問題が抑えられた形だが、私は必ず、教学部門の巻き返しがあると見ている。いまのとり方を見ていると「なぜこんな学生をとったのか」という議論が起こらないはずはない。
そうした動きはわが大学のような小さな大学にも見えてくるものがある、実は密かにマンモス大学からの転入生が増えているのである。合格したはいいが、マンモス大学の授業についていけないからといって編入してくる学生が俄かに増えているのだ。ここいらに小さな大学のサバイバルのヒントがあると見ているが、世の中は必ずしもそうは見てくれないので、しばらくは苦しい戦いが続くだろう。それでもサバイバルができれば、なんとか風向きが変わるときがあるというのが、かすかな希望というところ。その前に息絶えないようにあの手この手でがんばるしかない…。
さてこの時期あまり誰もいわないが、明治大学の応援団の事件の背景は学生の質の低下があると見ている。これは、実は入試戦略、募集戦略と関係していることなのだ。明治らしさの象徴であった応援団の廃部という問題はことのほか大きな問題を秘めていると思うがいかがだろう。
ああ、いってしまった。
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「大学を考える」のkangeです。
最後の明治の件に少し反応です。
私はちょっと違う見方をしていまして、明治の伝統を作ったのは決して「名門」明治の学生ではなかったのではないかと思っています。
まだまだ、進学率も低くて、今でこそ名門の私立大学の面々も決して学力レベルは高くなかったはずです。(受験勉強的な学力という意味で)
農家の次男・三男坊のある種の自由とたくましさが、この頃の私立大学の気風に影響を与えていたのではないでしょうか。
それが、進学率の上昇にともない知らない間に難関大学になってしまった。
そこで、かつての明治とは相容れないような学生が偏差値で輪切りにされて入学するようになった。
歴史と伝統は続くが、人は入れ替わっている。その歪みなんじゃないかと思っています。
投稿情報: kange | 2008年2 月 6日 (水) 23:35
kangeさん
コメントありがとうございます。
なるほど、そういうことが歴史的にみるといえますね。
私はここ10年くらいしか見ていないのかもしれません。
勉強になりました。MARCHなんていわれはじめたのは最近ですかね。
投稿情報: blackcoffee | 2008年2 月 7日 (木) 00:11