先ほど書いた記事
大学サバイバル日記: 新卒、再び「超氷河期」を考える その1
を少し補足しておきます。考えをまとめてみたいくなったのです。仕事が大学の広報(主に募集)ですのでずーっと気になっていたことです。
就職活動をするために大学3年生になると授業に出てこなくなる、大学によっては会社訪問が公欠扱いになり、授業の単位に影響しないなどという本末転倒が起こって久しい状況です。
就職のための面接対策や資格取得、ダブルスクールなど「付け焼刃」的な就職対策が行われています。しかも、大学の中で。
本来、大学でしっかりと「学び」、そのことを自分自身のアピールとして就職に臨むというのが本来の就職活動でしょう。
たとえば、下(↓)のように
私はどこどこ大学のどこどこ学部のどこどこ学科で○○を学び、将来は、それを活かしてこういう「仕事」(ここで重要なのは「就社」ではなく「職業、職種」であるという点なのですが…)をしたいと思います。
さらに言うなら「大学で学んだことはこれからも自分のテーマして学び続けていきたいと思います」といってほしいのです。
そのためには企業の採用の仕方も変わらなければいけません。おそらく、応募者に求めているものが「コミュニケーション力」「問題解決力」というような口触りはいいけれども、実は、よく定義できない能力、もっというと個性に属するようなものを求めているのです。
「学士力」をそれというなら、それはたぶん間違っています。
「学士力」とは大学でしか身につけることのできない力、または大学でしかできない自分の可能性の発見なのだと思っています。それは、社会に出てからも、自分の根の部分になるようなものです。
そして、しばらくして、また「学び」に帰ってくればいいのです。
今回の「就職氷河期」がそういうことを考えなおすきっかけになるならば、意味があると思っています。日本の大学が改革できるチャンスではないでしょうか。
ということが言いたかったのです。
最近、石渡さんが下の本を出版されました。よく売れているようです。だいたい、言いたいことがよくまとまっています。
就活のバカヤロー
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
就職活動(通称「就活」)をテーマに、企業の人事や大学の教職員、就活中の大学生らに徹底取材したあと、腹の底から出てきたのがこのひと言だ。「私は納豆のようにねばり強い人間です」と、決まり文句を連呼する“納豆学生”、「企業は教育の邪魔をするな」と叫ぶわりに、就職実績をやたらと気にする“崖っぷち大学”、営業のことを「コンサルティング営業」と言い換えてまで人材を獲得しようとする“ブラック企業”―「企業と社会の未来をつくる行為」「学生個々人が未来に向けて大きな一歩を踏み出す行為」であったはずの就職活動は、いまや騙し合い、憎しみ合いの様相を呈し、嫌悪感と倦怠感が渦巻く茶番劇に成り下がった。さて、いったい誰が悪いのか。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 就活生はイタすぎる(「こんな漢字も書けないのか」/学生の「自己分析」はイタすぎる ほか)/第2章 大学にとって「就活はいい迷惑」(現在の大学が抱える「ジレンマ」/徹底支援、熱血支援と言うけれど… ほか)/第3章 企業の「採活」真相はこうだ(新卒採用担当者のお仕事/企業の採用戦略はこうやって決まる ほか)/第4章 インターンなんてやりたくない(いつの間にか就活の一部となった「インターンシップ」/企業の本音は「やらざるをえない」 ほか)/第5章 マッチポンプで儲ける就職情報会社(就職情報会社の顔ぶれ/就活、採活を牛耳る「陰の支配者」 ほか)
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
石渡嶺司(イシワタリレイジ) ライター・大学ジャーナリスト。1975年北海道札幌市生まれ。’99年、東洋大学社会学部卒業 大沢仁(オオサワヒトシ) ライター・人事ジャーナリスト。転職をくり返しつつ、各社で採用・教育研修などを担当。人事の実務経験を活かし、ライターとして活動中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
という内容です。まあ、新書ですので、売上げのことを考えて多少過剰な表現になっていますが、石渡さん自身の本や雑誌の原稿(最近では中央公論2月号特集大学の絶望の中で「広報戦略なき大学に未来なし」)を読むと、批判ばかりではなく、しっかりと大学を応援していこうという姿勢がみられるので好感を持ってみています。
最初の本「最高学府はバカだらけ」のタイトルがいささか大学広報を刺激しすぎた観はあるのですが…。
コメント