それでも数字の上での全入時代以前は、待っていれば、最後には受験生がやってきた。
まあ、単純な数学だが、
全体の受け入れ数<全国の実受験生数
というのが全入前だったわけだから、当たり前の話だ。受験生数競争ではなく、入学者数確保を目指し限り、地道にやれば、なんとかなった。
これは数字上のことで、実際には定員割れを起こした大学が全国で4割あるわけだからそう単純ではない。この4割定員割というのはマスコミで取り上げられるので、すごい数の定員割が起こっている印象だが、実は一学部でも一学科でも定員割を起こすと定員割の大学にカウントされる。このからくりは、とても重要なのだが、あまり注目されず、4割定員割だけがひとり歩きしている。
私はこの定員割の考え方を学内で強調してきたし、とにかく定員割をさせない努力をしてきてきたが、最近、それを裏付ける発表が文部科学省からあった。定員割をした大学に対する補助金の削減の話が浮上してきた。
「一学部でも一学科でも定員割をした大学は、その率に応じて減額。」
現場にいると学科を改革する努力の足りない学科には定員割を起こしてもらって反省してもらいたいという気分になることもあるし、アドミニストレーションがそのような考えに陥ることもある。あるいは学生の質の確保のために定員割やむなしという声が入試判定の時に起こる。これはひとつの考え方であるが、定員割が重大な事態であると文部科学省が認識している以上、過激な質重視の意見には対抗せざるをえない。
しかしなんとか網を広げて受験生を集めようという努力は全入前までの状況で、全入になってくると、状況は一変した。一変したといっても、意外と募集現場の人たちは、気がついていないことがある。先程の不等式を考えれば、明らかなはずなのに、「あいかわらず厳しいけど、変化はあまりない」という反応に、おいおいと思うが私の感覚がおかしいだろうか。
ちょっと前置きが長くなったが、今日(2月26日)時点で、ミクロの変化の兆しが見え始めた。先程の話がマクロの話だとするとミクロの変化として、25日を境に受験生が動き始めている。どうも入れると思っていた大学で合格が出来ていないようだ。すでに、高校には受験情報誌から情報が速報で流されているようだが、一般入試で点数が取れている受験生と取れていない受験生が、ほぼどこの大学でも二極化しているというのだ。点数が取れていないのに高望みの傾向があり、結局、志望校に合格できないということが起こっているようだ。
さらに、もうひとつの大学側の事情も関係している。昨年、一般入試で苦労した大学は、今年推薦・AOで多くとった。そうすると一般入試の合格を絞らざるをえない。そうすると予想外に合格が難しいということになってくる。
週刊誌に出る予備校の教務担当者の座談会では「センターの平均はさがるだろうけど、強気出願でいけ」というものが多かった。「簡単に合格できるよ」と大学側の足元が見られているということを感じさせられる発言で、これに高校の先生や受験生が惑わされなければいいが、と思ったが、一部の大学で思ったより合格しずらいということが起こっているようだ。これは、入試が終わって、どこの大学がどの入試でどのくらいの合格を出しているかみていけば、大体わかってくる。
ただ、ランクの低い大学の悲哀は、入試における偏差値というものがすでに崩壊しているにもかかわらず、むしろ受験生やその親が偏差値を気にし始めたという現象だ。
大変皮肉な話だが、
ある程度勉強していれば(!)偏差値に関係なく、大学に入りやすくなった。(勉強していればということをあえて書いたのは先程の勉強せず高望みしている二極化した受験生と区別するため)そうなると、上位の大学を別にして大学を選ぶ基準がなくなる。(いまだに厳しい選抜が出来るのは3割といわれている。)本当は偏差値はあてにならなくなっているのに、偏差値を大学選びの基準にし始めている。全入に近い大学の中で少しでも偏差値のいい大学に進もうという受験生、親の心理があるようだ。
ちょっと内幕を書いたが、マクロに見ていくともっと面白い話はいろいろと出てくる。どこどこが歩留まりを読み違えて追加合格、辞退者の動きが、それ以下の大学にでる、というような話だ。もっとすごいのは、不合格なのに、合格の連絡を待っているという話も聞く、昨年そういう例があったというのだが、まるで「待ちぼうけ」の話のようでやれやれである。
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